PROFILE

代表者のプロフィール・強み

1 簡潔にまとめると
2 生い立ち~学生時代
3 東京都庁に入都
4 公認会計士試験
5 監査法人トーマツ
6 南アフリカで会計事務所
7 強み
最後に

①現地に駐在する会計専門家であること
②現場の理解無く改善はないことを理解していること
③熱意をもったら、実現させること

 1993年9月生まれ、千葉県船橋市にて育ちました。

 地元の公立中学校→東海大学付属浦安高校→早稲田大学商学部と進学します。

 中学校では野球部に所属し、毎日練習三昧の日々でした。夏休み、毎日朝10キロランニングの後にグラウンドでシートノック、ベースランニングと、とにかく走り回っていた気がします。この時の練習を超えるハードな日々は、これまでありません。ストイックに努力することの大切さを身をもって理解させてもらった、私の人生にとって大切な経験でした。

 中学校では勉学を疎かにしてしまったため、高校では思うように勉強ができないことに劣等感を感じていました。そんな中で、予備校の先生が、「今頑張れないなら一生頑張れない」と言っていたのを覚えています。当時私は、なぜかそれを、「今頑張れれば一生頑張れる」と誤解していました。

 幸い、なぜか記憶力だけはよく日本史が得意になり、大学受験を経て早稲田大学商学部に進学することになりました。

大学ではサークルやバイトに熱中しました。中でもNHKでの国際報道番組(NHK NEWSLINE)のアシスタントは、生放送の緊張感や取材・編集・報道する職員のバイタリティーに圧倒された4年間でした。3年生になり、ふと、「将来は世の中のためになる仕事をしたいな」という恐ろしく漠然とした思いを抱くようになり、公務員試験を受けることにしました。

video camera near stage with people

 公務員試験は商学部だったこともあり経済学にドはまりし、勉強自体が楽しく公務員試験はついでのような感じになりました。結果的には国家総合職と東京都庁に合格しましたが、縁があり東京都庁に内定をいただきましたので、新卒で就職しました。

 東京都庁では、水道局に配属になりました。当時私は、そもそも水道が道路の地下を流れているとか、そんな当たり前のことも想像していなかった(蛇口をひねれば水が出てくるのは当たり前と思ってました)世間知らずでしたので、すべてが新鮮に思われました。

 最初に配属になった現場事務所では、日々の生活に困窮する方や、職人気質の業者の方と接し、今までいかに自分の周りが同質性の高い人間であふれていたか、世の中には本当にいろいろな考えを持った方がいるのだなと、大変勉強になりました。

 西新宿の本庁に異動してからは、業務プロセスや内部統制の構築・改善や内部監査・指導の仕事に従事しました。東京都水道局は120年以上の歴史があり、業務プロセスも明治時代からの膨大な過去の積み上げから成り立っています。その中で、収入金整理事務(消込み)の効率化・正確化、料金徴収プロセスの改善、赤字事業の廃止・清算対応など、少しずつ都政を前に進めることに携わりました。

 ここでは、都庁という大きな組織を動かす大変さとやりがい、また及ぼす影響力の大きさを身をもって体感することができました。上から目線で「こうあるべき」というような通達を出しても、現場の職員・業務委託先・都民の方々に実際に行動していただき、効率的・効果的な業務の改善とならなければ意味がないことを理解しました。

 「データに基づいて業務を改善できる」と組織で説明し予算をとれても、それと「実際に動く人のこと・その先にいるお客様を考えて新しい業務を設計・改善できる」ことは全く異なります。時には都内を周り現場の意見を聞き、ともに汗を流しながら業務改善を進めた経験が、私自身の泥臭く現場志向の業務改善への強みとなったと考えています。

 2019年10月、奥多摩地区で台風土砂災害が発生し、断水のため応援対応に派遣されました。私は普段事務の仕事をしていますので、こういうとき、避難所を運営したり、指示を受けて水を運んで給水するというような仕事しかできません。そんな中で、一緒に仕事をさせていただいた自衛隊員の方々の、その圧倒的信頼感や高い技術力に私は圧倒されました。

 被災地からの帰路、「私も自分の技術力によって誰かに信頼感・安心感を与えられるような人材になりたいな」と思いました。そういえば(簿記はほとんど忘れてましたが)商学部出身だったなと思い、公認会計士を目指すことにしました。

 公認会計士の予備校(TAC)に受講コースの話を聞きに行ったら、「働きながらは無理だからやめておけ」と言われ、なんかムカついて、アマノジャクな(おバカな)私はかえって燃えてしまい、その場で申し込んでしまいました。予備校のHPには「必要勉強時間は2,000時間」みたいなことが書かれていたので(私の誤読だったかもしれません)、2000時間勉強すれば受かるのかと思い、そのくらいなら時間取れそうだな、などと根拠のない自身に満ち溢れていました。

 そこからは言わずもがな、地獄の日々でした。当時、朝8時から平均して夜8時まで仕事していたので、冷静に考えれば平日に勉強する時間をとることが難しい状態でした。

 当時のスケジュールは、朝4時に起きて1時間、6時にオフィスを開け2時間、昼ご飯は食べず1時間、9時に帰宅し10時まで1時間の最大でも5時間の勉強時間でした。休日は10時間を目標に勉強時間を確保していました。幸い、運よく試験に1発で合格できたことで(楽しくも)地獄の日々は1年で終わることができましたが、これ以上は気力的に無理でした。

当時の勉強時間の記録

 試験に合格後、「せっかく資格を取ったのだから活かせる仕事をしたいな」と思うようになりました。当時、勤務評定は6号昇給と一番良い評価をいただいていたのですが、主任試験に合格できず、異動ができないことがわかっていました。それならばと、公認会計士で作る法人である監査法人に転職することにしました。

 面接させていただいた中で、(どの法人も素晴らしい方ばかりでしたが)職員の方に一番誠実性とプロフェッショナリズムを感じたトーマツ(Deloitte)に内定をいただき、入社しました。

 トーマツでは、主に日系・外資系証券会社の財務諸表監査に従事しました。証券ビジネスはブロックチェーン技術やネット証券を中心とした業界の再編など、ビジネスが動いていて本当に面白く、いつの間にか公務員根性が染みついた私にはそのビジネスセンスがとても勉強になりました。

 また、早い段階で一連の監査手続にかかわれたことがとても良い経験になりました。前職があったことでシニアスタッフにも一年早く上げていただいたこともあり、より広い視野で監査という事業を見つめることができました。

 IPOのお仕事にも関わらせていただく機会に恵まれ、比較的規模の小さい成長企業の業務フローの改善の助言や、会計処理を共に検討し伴走することも経験しました。同じ改善でも都庁の時とはスピード感や求める成果が全く異なっており、とても良い刺激になりました。

 私がトーマツをやめて南アフリカで会計事務所をやることにした理由はいくつかあります。

①学生時代からアフリカに興味があり、いつかはアフリカで自分の事業をしてみたかった

 高校生のころ、「大航海時代」というゲームに熱中し、「いつか喜望峰のあるケープタウンに駐在したい」と思うようになりました。大学生や卒業してからも、アフリカへの夢は捨てきれず、かといって自分が貢献できるような経験もなく、せいぜい旅行に行くくらいしかできずにいました。

 会計士の資格を取得したあと、ふとそのことを思い出して、「じゃあ会計事務所を南アフリカでやってみればいいじゃん」と思いついてしまいました。ここまで読んでいただければわかるとおり、私は思いついたら押し進んでしまうタイプでして、気が付いたら退職を決意していました。

②「自分の技術で人に安心感を与える」ということを南アフリカでなら実現できると思った

 公認会計士法第1条には、公認会計士の使命として、「財務書類その他の財務に関する情報の信頼性を確保すること」が挙げられています。

 私が公認会計士を目指したきっかけである、「自分の技術で人に安心感を与える」を公認会計士の使命に当てはめれば、「財務書類等の信頼性を確保することにより、投資者等に安心感を与える」と言い換えることができます。

 当社のVISIONに、「アフリカ事業を可視化する」とあります。私が南アフリカで会計士としての仕事をすることで、アフリカの日系企業のビジネスを少しでも見える化することができ安心感を与えることができたなら、「国民経済の健全な発展」ももちろんそうですが、私自身の目標も達成することができると考えました。

③30歳、もう一度チャレンジングな環境に身を置きたかった

 30歳になり、妻子(0歳児)がいる中で、会社を辞めてアフリカで裸一貫、事業を始めるというこのような挑戦をさせていただける、そのことに本当に本当に感謝しています。

 リスクをとって何かに挑戦するには責任を伴う年齢・状態であることは承知をした上で、人生に後悔があってはならないと考え、チャレンジングな環境に身を置くことにしました。妻に相談したところ、「あなたなら何とかするでしょ」と言っていただき、決断をすることができました。

 このようなチャンスをいただけたことに報いるためにも、日本企業のためにできる限りの価値を提供したいと考えています。

ここまでお読みいただきありがとうございました。

冗長になってしまいましたが、私の強みは以下のとおりです。

必要な時に現地にいることで、専門家として信頼いただく一助になると考えています。

過去の都庁・トーマツでの経験から、アドバイザーがどんなに良い餅の絵を描けても、それが「絵に描いた餅」で終わるケースを幾度も見てきました。現場に必要性が理解されてはじめて、改善策が土俵にのると考えています。

私は熱意をもって挑戦したら、実現のためにあらゆる手段を尽くすことができます。お客様に最高の価値を提供するため、最後まで伴走します。

「人が宣う地獄の先にこそ わたしは春を見る」

 最近私が好きになった曲の歌詞です。私が「南アフリカで会計事務所をやりたい」と周囲に言ったとき、「日本で仕事があるのにどうしてそんな道を」と何度も「地獄」かのように言われました。もしかしたら、治安の悪さなどを心配して言ってくれたのかもしれません。

 しかし、上記のとおり、私は南アフリカでの会計業務を「地獄」だと考えていません。むしろチャレンジであり、自分のやりたいことを実現できるかもしれない場所だと考えています。

 そのような環境を与えてくれた家族に感謝し、「春を見る」べく、これまでの知見と情熱を総動員し精一杯全力を尽くします。

 ご縁があった際は何卒宜しくお願い致します。

road in between flowering trees

2024年 森亮